第8話 あなたの人生は、誰のものですか?

2025/11/05

第一章 帰る場所を忘れなかった犬─ コロの物語 ─

母がときどき話してくれる昔話がある。
聞くたびに胸が締めつけられるのに、なぜか心が優しくなる。
今日はその話を、私の言葉で綴ってみようと思う。
 

母がまだ小学生の頃のこと。
祖母の弟夫婦──つまり母にとっては叔父と叔母──の家で、
「コロ」という名前の子犬が飼われていた。
ふたりには子どもがいなかったこともあり、
コロはまるで“家族の子ども”のように大切に育てられていた。

その家は母の家からほんの数十メートル。
スープの冷めないほどの近さで、
母はコロが子犬のころからずっと、一緒に大きくなってきた。

母が学校から帰るたび、
コロは家の前の道の十数メートルほど先で、母の姿を見つけると、
「ううううっ」と嬉しそうに鳴きながら、尻尾を振って駆けてきた。
その鳴き声は、まるで「おかえり」を言葉で伝えるようで、
母にとってそれは、一日の終わりに必ず迎えてくれる“無条件の愛”そのものだった。
 

やがて、叔父夫婦が市内の別の場所に引っ越すことになった。
車で15分ほど離れた場所。
距離にすればそう遠くはないけれど、子どもの足ではもう歩けないほどの距離だった。
コロは新しい家に連れて行かれたが、離れてもなお、母への想いを忘れなかった。

そして──ある日、奇跡が起きた。
コロは新しい家から、自分の足で母のもとへ戻ってきたのだ。
家の前で再会したときの嬉しさは、母の心に今も鮮明に残っている。

やがて叔母がタクシーで迎えに来て、コロを抱きかかえて帰っていった。
それからしばらくして、また同じことが起こった。
コロは再び、母のもとへ帰ってきたのだ。
その姿を見た母は、思わず「コロ!」と叫んで駆け寄った。
そのときの喜びと驚きは、きっと言葉にならなかっただろう。
 

そして三度目のこと。
その日も母は学校からの帰り道、
「今日はコロ、戻ってきてないかな」と家の裏の田んぼを見渡した。

そのとき──あぜ道で、コロが倒れているのを見つけた。

母は駆け寄り、「コロ!コロ!」と何度も呼び、何度も体を撫でた。
けれど、コロはもう動かなかった。

ちょうど田植えの季節で、農薬が撒かれていたという。
祖母が静かに言った。
「きっとコロは、その水を飲んでしまったんやね。」

母はその場で泣き崩れ、何日も声を上げて泣き続けた。
家族の誰もが、その泣き声を今も忘れられないほどに。
 

コロが亡くなったのは、母が中学生のとき。
子犬だったコロと一緒に育ち、共に歳を重ねてきた時間が、
その日を境に静かに止まった。

けれど、その涙は、ただの悲しみだけではなかった。
コロが命をかけて教えてくれたのは、
「想いは距離を超える」ということ。
そして、たとえ姿が見えなくなっても、
“帰る場所”は心の中に生き続けるということだった。

母の心の中では、今もあの夕暮れの帰り道を、
「うううう」と鳴きながら尻尾を振って駆けてくるコロがいる。

だからあの別れは、“終わり”ではなく、
“想いが形を変えて続いていく”という始まりだったのかもしれない。
 
 

第二章 あの日、静かに手を握った少年

母からコロの話を聞くたびに、私は「想いが形を変えても生き続ける」ということを
感じてきた。
そして、私の中にもまた──
静かに息づいている記憶がいくつかあります。
そのひとつが、中学時代に出会った、ひとりの男の子のことです。
 

同じクラスに、とても穏やかで控えめな男の子がいました。
サッカー部に所属していて、
目立つタイプではなかったけれど、笑顔が柔らかくて、
どこかあたたかい空気をまとっているような子でした。
特別に話した記憶もなく、けれど、今でも心に鮮明に残っている“ある瞬間”があります。

中学3年生のとき、体育祭でフォークダンスを踊る時間がありました。
あの年頃の男女にとって、手をつなぐというのは少し照れくさいもので、
多くのペアは指先が軽く触れるくらいで、すぐに離していました。
私も何人かの男子と順番に手をつないだけれど、
その多くは形式的な“タッチ”のようなものでした。

けれど──彼は違いました。
ほとんど話したこともなく、接点もほとんどなかった彼が、
その瞬間、私の手を静かに、そして確かにしっかりと握ったのです。
おとなしくて控えめな彼が、そんなふうに手を握るなんて思いもしなかった。
驚きとともに、胸の奥にあたたかいものが広がりました。
だからこそ、その感覚は今でも鮮明に覚えています。
 

それから高校は別々になり、彼のことを思い出す機会もほとんどありませんでした。
けれど、高校1年のある日、中学の友人から電話がありました。
「K君が亡くなった」と。

信じられませんでした。
お父さんの運転するサイドカーに乗っていて、
その道中で、不慮の事故に遭ったのだと聞きました。

当時でもサイドカーはとても珍しく、
きっとお父さんはバイクが好きだったのでしょう。
風を感じながら、親子で走る時間を楽しんでいたのかもしれません。
けれど、その日──ほんの一瞬の出来事で、K君の命は帰らぬものとなってしまいました。
 

お通夜の座敷の間は静かで、彼の顔はまるで眠っているように穏やかでした。
頭には包帯が巻かれていたけれど、その表情には苦しさの跡がなく、
ただ静かに、安らかな時間が流れているようでした。
お母さんはずっと下を向き、肩を震わせながら泣いておられました。
その姿を見て、私は胸が締めつけられるようで、言葉を失いました。

彼のことを特別な感情で見ていたわけではない。
けれど、あのフォークダンスで感じた優しさが、
心の中で鮮やかによみがえりました。

「どうして、こんなに優しい人が──」
何度もそう思いました。
これからという時期に、なぜ命が絶たれてしまったのか。
 

あの日から、私は心のどこかで誓いました。
彼が生きられなかった分まで、私は生きることを大切にしようと。
彼が見られなかった景色を、彼の分まで見届けようと。
それは今でも、私の中で静かに息づいています。
 
 

第三章 静かに守ってくれた先輩

大学1年の頃。
私は、大学の近くにある、地元では有名な飲食店でアルバイトをしていた。
お昼時はまるで戦場のようで、鍋焼きうどん定食を両手で運ぶたびに、
腕が震えるほど忙しいお店だった。

その職場に、一つ年上の男の先輩がいた。
同じ大学、同じ学部で、学科だけが違っていた。
初めて会った日、先輩は私の顔を見て、少し驚いたように笑った。
「同じ高校なんや!なんか嬉しいな。」
そう言って、にこっと笑ったその笑顔を私は今でも覚えている。
すらっとした背の高い、静かでやさしい空気をまとった人だった。
 

──ある日の夜のこと
その日はお昼ほど忙しくなく、店内には落ち着いた時間が流れていた。
私は厨房で、急須の茶こしを洗っていた。
そこに頑固にこびりついた茶葉がどうしても取れず、
何度も何度もこすっても、落ちなかった。
「もうこれ以上は無理やな……」
そう思って、とりあえず洗い終えた茶こしを所定の場所に置いた。

少しして、奥の方から女性社員の声が聞こえた。
「Nくん、見てこれ。あの子、全然洗えてないやん!」

その人は私より四つ年上で、いつも厳しい人だった。
胸の奥がぎゅっと痛んだ。
何度も洗ったのに、わかってもらえない。
でも、言い訳はしたくなかった。
ただ黙って、その場を離れ、お客さんのテーブルを拭きに行った。

そして、戻ってきたとき。
私はその光景を見た。

N先輩が、無言で、あの茶こしを洗ってくれていた。
誰に頼まれたわけでもなく、誰に見せるわけでもなく、
ただ静かに、真剣に、ゴシゴシと洗っていた。

その横顔を見た瞬間、胸が熱くなった。
「この人は、本当にやさしい人や……」
そう感じた。
責めるでも、かばうでもなく、
ただ黙って“行動で守ってくれた”その姿が、
私の心に深く刻まれた。
 

やがて私は、いくつかの理由が重なって、そのアルバイトを辞めた。
忙しさと、職場の雰囲気に疲れてしまったのだと思う。
N先輩とはシフトがあまり重なることがなく、
バイト先で顔を合わせる機会も多くはなかった。
辞めるときもシフトが合わず、先輩には何も伝えられなかった。
あの優しさへの感謝の言葉も言えないまま。
 

それからしばらくして、私は家の近くのうどん屋で働き始めた。
家庭的であたたかい雰囲気の店だった。
そこに、同じ大学の“のりこさん”という女性がいた。
私より一つ上で、明るくてしっかり者の人。

ある日のこと、何気なく私は前のバイトの話をした。
「前のバイトにね、Nさんっていう先輩がおって、
のりこさんと同じ学科なんですけど、知ってます?」

その瞬間、のりこさんの顔が固まった。
驚きと、悲しみが入り混じったような表情で、
しばらく黙ったあと、静かに言った。

「……Nくん、もういないんよ。バイクの事故で亡くなったん。衝突して。」

亡くなった──。
その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいった。
耳の奥で何度も響いた。

のりこさんは、私が新しいバイト先に入ったときから一緒に働いていた人だった。
それなのに、この話が出たのは、出会ってからほぼ一年が経った頃のことだった。
何気ない会話の中で、ふと前のバイトの話になり、
私がN先輩の名前を出した──それがきっかけだった。
のりこさんが先輩と同じ学年・同じ学科だったことも、まるで奇跡のようだった。
 

あの時、私をそっと守ってくれた人。
あの優しい笑顔で「嬉しいな」って言ってくれた人。
その人が、もうこの世にいないなんて。

信じられなかった。
けれど、どこかで「教えてくれたんだ」とも思った。
もし私がその話をしなければ、
私は一生、彼の死を知らないままだったのだ。

だから、あのタイミングで知れたことには意味があるような気がした。
彼が、静かに私のもとへ知らせに来てくれたような気がしてならない。
 

でもその時の私は、ただひとつの思いに支配されていた。
「どうして……? どうして、優しい人ほど早くいなくなるんやろう。」
それは、K君の時と同じ問いだった。
そして、その“なんで”という問いに、
私は長い間、答えを探し続けることになる。
 
 

第四章 愛だけを残せ

それぞれの“別れ”が、私に同じことを教えてくれました。
命は途切れても、想いは消えない。
姿は見えなくても、その優しさは確かに残り続けている。

彼らの存在は、今も私の“生”に力を与えてくれています。
迷った時や心が揺らいだ時、私は彼らのことを思い出す。
なぜ、こんなにも優しい人たちが早くこの世を去ってしまうのか。
長い間、私はその答えを探していました。
 

そんなある日、ふと耳にした中島みゆきさんの歌──
**「愛だけを残せ」**が、私の心に静かに響きました。
──愛だけを残せ──

私はその答えをようやく受け取れたような気がしました。
“なぜ彼らはあんなにも早くいなくなってしまったのか”──
その問いに対する、一つの答えがここにあるような気がしたのです。
 

彼らは、名を残すために生きたのではなく、
愛を残すために生きたのだと。
その愛が、時を超えて人の心の中に生き続けるのだと。

そして、今も確かに感じるのです。
彼らの優しさが、私の中で生きていることを。
その存在が、今も私を支えてくれていることを。

きっと、彼らがこの世に残してくれたものは、“純粋な愛”だったのだと思う。
その愛は、彼らの家族や友人たちの中に、今も静かに息づいている。
 

私がここに綴ったのは、その中のひとつ──
私自身が、彼らの優しさから受け取った“答え”です。

彼らは、ただ純粋で、優しい存在でした。
そして、どんなに苦しい時も、
その優しさが、私に一歩踏み出す“勇気”を与えてくれています。

そのぬくもりを胸に抱きながら、
苦しい時も、温かい思い出のひとつとして、
今も私の中で、静かに力を与え続けているのです。
 
 

第五章 いのちの時間を生きる

彼らは、どちらもまだ十代でした。
これからというときに、突然、意図せず、命の灯を奪われた。
未来を描く暇もなく、老後の心配をする間もなく。

その無念を思うたびに、私は胸を締めつけられます。
きっと、もっと見たかった景色も、やりたかったことも、たくさんあったはず。
 

だからこそ、私は思うのです。
誰にでも“いつか”は来るけれど、
その“いつか”がいつなのかは、誰にもわからない。
ならば、恐れにとらわれて未来ばかり見つめるより、
今この瞬間を、精一杯生きることこそが、いのちへの礼儀だと。
 

世の中は「老後の不安」「将来のため」という言葉で溢れています。
けれど、私たちは本当に“今”を生きているでしょうか。
将来の不安にとらわれてしまってはいないでしょうか。
人の目や世間体、そんなものに自分の大切な人生を奪われてしまっていないでしょうか。
明日が来ることを当然と思っていないでしょうか。
皆がやっているから。乗り遅れるのは嫌だから。
それは、本当にあなたがやりたいことでしょうか。
 

──彼らのように、
“いのちの途中”で突然その灯が消えることもある。
だから私は、今を大切に生きたい。
今日という日を、精一杯、自分らしく生き抜きたい。
誰かに流されることなく、自分の気持ちに正直に生きたい。
彼らが見られなかった景色を、私は挑戦を通して見たい。
彼らが生きられなかった分まで──

それが、彼らが私に教えてくれた「生きる」ということ。
そして、私がこの人生で見つけた、たったひとつの“答え”です。

 

author

執筆者

高木 恵美

複数の業界で営業職を経験し、今は一棟収益マンションの仲介業を全国で行っています。
営業としての土台を築いたのは、リクルートでの4年間。厳しくも濃密な経験が、私の原点です。
感性を大切にしながら、物件の背景や売主様・買い主様の想いに寄り添い、同時に、数字や収支の分析など、専門性もしっかりと持ち合わせた“両輪”の姿勢で、誠実な取引を心がけています。